事業内容・2

Show-biz dep.アーティストエージェント

Show-biz dep.は「アーティスト・エージェント」「イベント立案」「レーベル運営/CD制作」の3部門から成り立っております。

日本だけでなく、世界で活躍するアーティストのライブ・コンサートブッキング,CM制作・パブリシティ等エージェント業務を行います。

カノン

オーストラリアの音楽大学声楽科を卒業後、2004年にソニーミュージックよりデビュー。 “ヒーリングを超えた聖なる歌声”と称され、クラシックとポップスを融合させた「クラシ カル・クロスオーバー」アーティストとして注目を集める。
これまでに、フランス・カンヌで開催された「MIDEM2007」(国際音楽見本市)での 日本代表出演、シドニー・オペラハウスで開催された「Distant Worlds music from FINAL FANTASY」(ファイナルファンタジーコンサート)でのゲスト出演、ロシア・イ タリアでの公演など、海外でも活躍。
2005年に大阪長居スタジアムで開催されたサッ カーワールドカップ最終予選パブリックビューイング(日本代表×北朝鮮代表)において 国歌を独唱。
2011年、イギリス人テノール歌手ポール・ポッツ氏の日本公演ツアーのゲ ストとして、ポッツ氏と「Time to say goodbye」を共演。
2011年4月に、「ファイナ ルファンタジー」の作曲家として著名な植松伸夫氏による監修のアルバム 「A New Story」をリリースした。
2013年、女児を出産。母親として歌手として益々、活動の幅を広げている。

The Coconut Cups

日本を代表するコーラスグループ『サーカス』で30年に渡り活躍して来た原 順子を筆頭に「AMAZONS」のメンバー斉藤 久美&吉川 智子、 『米米CLUB』で再び大活躍の菅木 真智子、桑田佳祐や石井竜也 のサポートでおなじみ清水 美恵、 また歌だけでなくダンサー、指導者としても名高い長屋 美希の6名からなるスーパー・ハーモニーユニット。
それぞれの音楽創作活動の傍らセッションシンガーとしてツアーやレコーディングに参加してきたアーティストは 久保田利伸、松任谷由実、藤井フミヤ、Misiaなどなど枚挙にいとまが無い。
日本の音楽シーンを支え続けて来たともいえる彼女たちの華麗でパワフルなヴォイスワークとハーモニーは きっと貴方の心の奥深く刻まれるであろう。
2010年より『COCONUT AROUND THE WORLD 』と題し世界を旅するかのような音楽展開とともに本格的なライブ活動をスタート。
2012年12月マウナケアレーベルよりHawaiian Jazzをコンセプトにしたファーストアルバム “ Romantic Hawai'i“を発表、 テンションを駆使した質の高いハーモニーが凝縮されたそのアルバムはま さに日本最強の女性コーラスと呼ぶに相応しい見事な出来映えである。

大江 恵

1969年千葉県出身、名古屋、大阪育ち。
小学5年生の時、クラスの歌のテスト後、拍手喝采を浴び、歌手になることを決意。
15歳で「ホリプロタレントスカウトキャラバン」大阪最終予選出場、「文化放送・全日本ヤング選抜スターは君だ」大阪代表に選ばれるものの、17歳で歌手の夢をあきらめ、短大英文科に進学。
卒業後、外資系メーカーの経理、生命保険会社の営業などを経て、CA(客室乗務員)に転職し、6年半勤務。
退職後、ニューヨークに在住し、老舗ジャズクラブ “Birdland”で見たジャズシンガーに憧れ、帰国後、外資系企業に勤務しながら、ジャズやアナウンスを学び、40歳からジャズシンガーとして活動を開始、都内のジャズクラブ、ジャズフェスティバル等、年間80本のライブに出演。
2012年、FM世田谷のジャズ番組 “Realsongs”のパーソナリティーとしても活躍。
2014年、45歳の誕生日である1月17日に、デビューアルバム “GIFT OF LOVE”を発売。
沢山の影響を受けた当時のJ-Popsを、天才ピアニスト遠藤征志がジャズアレンジし、英語・日本語を駆使して、オリジナルとは一味違う大人の愛聴盤に仕上がった。
リリースツアーは東京渋谷 “JZ Brat”を始め、大阪・名古屋・横浜で各地ソールドアウトとなり、東京は “原宿ラドンナ”で追加公演を行う。
ライブハウス・フェスティバルだけでなく、各企業のパーティー・コンサート等にも積極的に出演中。
「キュートな歌声に癒される、元気になれる」と同世代の女性のみならず、子供からシニアまで幅広い世代に支持されている。

Special Artists

石井竜也

石井竜也

1959年生まれ。高校卒業後、画家を目指し上京。
‘85年 米米CLUBとしてデビュー。楽曲の作詞・作曲、ステージセット、コスチュームなど バンドを総合的にプロでシュースし、 ‘89年「KOME KOME WAR」、‘90年「FUNK FUJIYAMA」でMTV VIDEO AWARD を2年連続受賞。
さらに「浪漫飛行」、「君がいるだけで」などを含め多くのヒット曲をリリースする。
その芸術的で圧倒的なライブ・パフォーマンスから稀代のエンターテインメント・バンドとしてその名を轟かせるかたわら、 映画監督としても活動の場を広げ、‘94年「河童」、‘96年「ACRI」を公開。
‘97年の米米CLUB解散後(‘06年 再始動)、ソロ活動開始。毎回テーマ性のある全国ツアー、 アートパフォーマンス、オーケストラライブなどを展開する。また 音楽活動に加えて「大阪HEP FIVE (商業ビル) 」空間プロデュース、 愛知万博「愛・地球博」レギュラープログラムの総合プロデューサーなどを務め、 ‘08年には近代製鉄発祥150周年記念シンボルキャラクター”AIRA” を制作。
インダストリアル・デザイナーとしてもノートパソコン、携帯、アクセサリー、食器など様々なデザインを多く手がけるほか、 作品制作にも積極的に取り組み、‘94年「未来遺蹟展」  ‘97年「空想美術館」 ‘99年「昇展」 ‘02年「NUDE」  ‘06年「Venus White」といった作品展を、近年は古来より伝わるダルマを用いた不可思議でスピリチュアルなオブジェ  ”顔魂 〜KAODAMA〜 ” の創作を続け、六本木・森アーツセンターギャラリー(‘0 8)、奈良・薬師寺(‘08)、京都(‘10)、 NY(‘11)、にて展覧会を開催。
また‘02年にスタートした愛と平和を願うアート・インスタレーション「GROUND ANGEL」は、 横浜(‘07〜‘11)、広島(‘05〜‘06)、  東京(‘07〜‘11)、と毎年年末に開催を続け、のべ100万人以上を動員。
‘11年には、3月に発生した東日本大震災を受け“GROUND ANGEL 1万人の歌プロジェクト”として楽曲「つよくいきよう」を制作。
‘01年9・11のアメリカ同時多発テロをきっかけに‘02年より始まった「GROUND ANGEL」は、10年目となる‘11年の3・11より、 東日本大震災被災者への支援を主軸とし、ライブ、アートイベント等の活動を行っている。

>オフィシャルホームページを見る

プロデューサー 恩田快人

プロデューサー 恩田快人

元JUDY AND MARYのベーシスト。彼らのヒット曲の数多くを作曲。
92年、彼を中心にロックバンド”PRESENCE”を結成しメジャーデビュー、89年”JACK’S’N JOKER”を結成、91年に映画“いつかギラギラする日”に出演、函館ロケ中にYUKIと出会う。
JUDY AND MARYを結成しEPICソニーより93年“Power of Love”でデビュー。”ドキドキ”
“Hello! Orange Sunshine”等数々の作曲を担当、“そばかす”はグループ初の 120万枚の大ヒットとなる。97年発売の4thアルバム“THE POWER SOURCE”は 邦楽ロックバンドとして堂々の年間1位、280万枚のセールスを記録。
レコード大賞企画賞、NHK紅白出場など大活躍の後、01年3月、東京ドーム2daysのラストコンサートまで若者の圧倒的支持を集める。 ベーシスト、作曲家、アレンジャー、プロデューサーとして“whiteberry(ホワイトベリー)"のプロデュースなど解散後も大活躍中。 フジTV”堂本兄弟”にも堂本ブラザースバンドとしてレギュラー出演していた。
又、新たにニューグループ“ZAMZA N' BANSHEE ザムザンバンシー”にも参加、 精力的にライブを行っている。
自らインディーズ・レーベル“DEDICATION RECORDS”を主催、ニューアーティストの開発、育成にも 力を入れている。

>オフィシャルホームページを見る